オススメの逸品
調査員のおすすめの逸品№392 実はとっても便利な「等高線」
今回は、地形図に必ず掲載される「等高線」を紹介します。
等高線は、二次元で表現した地形図の起伏情報を三次元化できるよう表現した記号です。地形図上で標高が同じ地点を結んだ線として表現されます。
学習指導要領によると、小学校4年生の社会科で等高線の初歩を学び、中学高の地理的分野で複雑な地形を読図できるように学習します。しかし、印刷された情報から立体的な情報へ変換する技能が必要なため、理解できない生徒が少なからずいました。かく言う私も小学生時代は等高線を理解できず、高校時代まで「地理学」は苦手教科のひとつでした。
ここでは、復習を兼ねて少し詳しく説明します。等高線は、以下の三種類で表現されます(図1参照)。

・主曲線:地形の起伏を示す基本的な細い実線
・計曲線:等高線のうちで、標高を読み取りやすくするために、5本に1本の割合で描かれる太い線のこと
・補助曲線:緩やかな起伏において、地形を読み取りやすくするため、主曲線の間に引かれる細い破線のこと
等高線は、高さに合わせて線が引かれるため、地形の起伏に合わせて線の間隔が変化します。すなわち、起伏が緩やかな場合は等高線の間隔が広くなり、急傾斜ではその間隔が狭くなります。また、等高線が標高の低い方向へ突出する場合は地形が高まり、標高の高い方向へ引き込む場合は地形が窪むことを意味します(図2参照)。

等高線は、縮尺に合わせて省略されることもあります(5万分1は20m間隔、2万5千分1は10m間隔)。また、明治時代に作成された地形図は模式図的な測量を行ったため、実際の地形と微妙に異なる場合がありました(調査員のおすすめの逸品No.44)。
等高線は、目立つ色で塗り重ねると地形の起伏がはっきりわかるようになります。図3は市街地化される前の瀬田丘陵の起伏を等高線で示したものです。奈良~平安時代に造られた古代の役所である「近江国府」の位置と、瀬田丘陵の昔の地形を比較してみよう、という軽い気持ちで図化しました。今ある神領団地は谷を埋め立てて造られたことや、国庁背後の谷は比較的傾斜が緩やかで幅が広いことがわかります。

また、等高線を抜き出して加工すると、「ブロックダイヤグラム」という鳥瞰図をつくることができます。(調査員オススメの逸品 第195回参照)

このように、地形の高低を表示する記号にすぎない等高線も、利用の仕方次第で様々な情報を得ることができます。私にとって主題図を作成するための得がたい逸品、と言えるでしょう。
◆おまけ 等高線による簡単な考察
図5は新近江名所圖會 第433回で紹介した、大溝陣屋町の水利図です。

この回では、大溝陣屋町は背後の①山から取水する上水道と②町の北西に位置する湧水井戸から取水する上水道の2系統があることを図示しました。このときは、主題から外れるため説明を避けましたが、町人地の大部分を占める「中町」は①、西端にある「石垣町」は②の系統に別れていることが解りました。
石垣町は分部氏が大溝町を再整備するときに造られた町屋になります。はじめは、最初に整備された大溝城下町は②の系統を使用していたが、分部氏が大溝陣屋を再整備するときに①の系統を採用したため二つの系統が成立したと推測していました。しかし、分部時代に整備された伊勢町や西町などは②の系統に組み込まれているので、上記の推測は成立しません。
今回、等高線を紹介する記事を考えたとき、大溝の水利系統は地形の起伏によって分けられていると考えました。そこで、古い時代の国土基本図(1962年)を入手し、大溝の起伏を確認するために等高線を図から抽出しました(図6)。

すると、石垣町の北西部に等高線の突出が認められることから、城下町北西部にある湧水点から石垣町まで送水できないことがわかりました。
石垣町が①山水取水に至った史料が手元に無いため、確証はありませんが、石垣町は①の系統から給水できないことから②の系統に組み込まれた、と推測しました。
(調査課 神保忠宏) ※ 神保忠弘の活動は【コチラ】
★★★ お知らせ ★★★
今年は、織田信長が安土城を築いてから450年目を迎える節目の年。この安土城、近世の城の要素を初めて兼ね備えた「近世城郭の出発点」だとしばしば指摘されていますが、突然現れたというよりも、それまでの城の要素を信長が集大成し、築き上げた結果とも言えます。
このたび、安土城考古博物館では、上記のような流れにスポットを当てた春季特別展──安土城築城450年記念「安土山築城前夜 戦国乱世の城」──を開催します(会期:令和8年4月25日~6月14日)。詳しくはこちらの【公式サイト】をご覧ください。皆様のお運びをお待ちしております!
